コミュニケーション能力について

自分は今コミュニケーション能力の低さに困っている。今自分は大学生で授業を一緒に受ける友達もいる。ご飯を食べる友達も、遊ぶ友達もいる。でも全て限られたコミュニティの中で収まってしまっている。出会いの場は沢山あって、もっと沢山の繋がりを持てるはずなのに、それ以上に広げる事ができない。どうやら自分はコミュ力がないらしい。最近になって気づいた。

 

だから自分が今までどうやって友達を作ってきたかを振り返ってみる。

小学校から中学校高校と、自分は自分から話しかけるのはやっぱり苦手だったことを思い出した。まず第一声なんて話しかけていいかわからん。「友達になろう?」なんて言ってくるやつと友達になれるわけない。

だから自分は自分に声を掛けさせるように振舞っていたなと今思えばそう思う。目立とうとして、周りから自分に声をかけてもらう。今までそれでうまく友達も作れてきたし。だけど今はどうもそうは行かないらしい。自分は目立とうとすることをやめてしまったから。だから人は当たり前のようによってこない。

だから最近は自分から話しかけた方がいいのかなとか、改めて色々考えてみたけど、今までと違う作り方で今から友達作れるわけないよなぁと実感。

 

やっぱり今まで通り、話しかけられるくらい目立つ人物になるしかない。自分の周りに人を集められるようになるしかない。

それが自分が今まで生き残ってきた方法だし、目立てばええんや。

全ての自信がない人へ

前述したように僕には自信がない。

隠したいことが多いし、他人の評価を気にしすぎる節がある。

 

futureconomic.hatenablog.com

 

しかし、これって自分以外にも多くの人にも当てはまる事なのではないだろうか。

少なくとも自信を持てない人の数はきっと僕が思っているより多くいるだろう。

 

そんな僕らに朗報がある。自分は最近少しだけデータサイエンス系の勉強をしている関係である本を読んでいた。

それはSeth Stephens Davidowitz著の「誰もが嘘をついている〜ビッグデータ分析が暴く人間のやばい本性〜」という本だ。

 

タイトルに若干の品の無さはあるが内容は至って学術的でなかなか面白かった。著者が元グーグルのデータサイエンティストで、グーグルトレンドやグーグルコリレイト、またウェブ上のテキスト分析などを行い、これまでの定説を覆すような様々なビッグデータを活用した社会科学的な分析結果を提示している。

 

そしてセスは一冊を通して終始グーグル検索を「デジタル自白剤」と呼び、多くの人が人に相談できないような内容もグーグルには気軽に相談し、全てを打ち明けてしまうと述べている。これには確かに自分にも思い当たる節がある。絶対人に相談できない、ましてやこんなところに書けないような内容をグーグルには幾度となく相談(検索)している気がする笑

しかし、自分以外にもこのような経験に思い当たる人は少なからず存在するのではないだろうか。

 

若干前置きが長くなったがここからが本題。

 

そんな全ての人が真実をつい告白してしまうグーグル検索を用いた分析が、自信を持てない僕らにある嬉しい事実を教えてくれる。

それは不安や気恥ずかしい気持ちを抱えているのは自分だけではなく、多くの他の人もそのような気持ちを抱え、自分に自信がない、という事だ。

ここまで自分自身、「自信を持てない人は思っているより多くいる」と冒頭に書いてはいるが、そこには確証がなかった。しかしそこに確証を持てる一つのデータをグーグル検索は教えてくれる。

 

セスによると、2014年オバマ大統領の一般教書演説中に米国人が検索した物事トップ10のデータは以下の通りである。

 

  • オバマは何歳?
  • 副大統領ジョー・バイデンの隣に座っているのは誰?
  • ベイナー下院議員はなぜ緑色のネクタイをしているの?
  • ベイナーはなぜオレンジ色なの?

 

果たしてこれが民主主義国における大統領の演説の最中に調べる事だろうか。この検索内容はとてもじゃないが政治意識が高い人間によるものとは思えない。演説の内容よりネクタイの色が気になるのかと思ってしまう。しかしGoogle検索のトップがこのような内容であるという事実は、多くの国民が確かにこのような稚拙な疑問を抱いているという事を示している。そしてそれは恥ずかしくて人には聞けないが、グーグルになら気軽に尋ねる事ができる、という事なのだろう。

 

僕らがどれだけその人に尋ねたって教えてくれない事もこのデジタル自白剤を用いればいとも簡単にその人の内面についてを教えてくれる。

この結果から何が言えるだろうか。

 

それはこの本の中で以下の人生訓として表現される。

 

「自分の内面を人の外面と比べる事なかれ」

 

これはつまり、多くの人は稚拙な疑問やバツが悪い事実を人に見せようとはせず、外面は素晴らしく作り上げる。しかしそれを見て、自分の内面と比べるのではそもそも比べる対象が間違っており、他人の外面と自分の内面とを比べる事で自分を卑下することは適切ではないのではないだろうか、ということを示唆している。

 

自信がない僕らの多くは他人の外面と自分の内面を比べてしまっている。

 

もっとも人の内面を知る事などそう簡単にできない。しかしグーグル検索は確実に多数の不安を抱え自分に自信のない人間がこの世界に存在することを証明している。

 

つまり全ての臆病で慎重派の僕たちには名乗らないだけで、多くの仲間がいるのだ。

僕ら全員同じような悩みを持った仲間が。

 

だからそれを覚えておけば、きっと今よりも少しだけ勇敢な自分になれるのではないだろうか。

自信がないとは?

俺が自分についてよく思う事。自信がない。今までのブログでも書いたように、影響されやすい、それからメンタルが弱いってか怒られることや自分を否定されるのが嫌い。これらって全部一つの性質から生じてるんじゃないかなって最近は思うようになってきた。

自分よりもよっぽどアホだけど自信持って話す奴はいる。そういう奴の方がなんだかんだカッコいい。

 

一つ目は単純に自分の考えてる事を言語化するのが俺は下手って事。頭で100のことを考えていても伝えられるのはせいぜい60とか。これは単純に父親が口下手だったことに由来するものなんだろうと思う。喋り方って本当に家族に依存する気がする。

次に隠し事があるってこと。これは母親の影響かな。自分の母親の影響は、母親が本当に天然で、あと眉毛が濃い事を認めて生きてきてない人なんだよね。まあ単純に顔は美形だから今の俺みたいな感じなのかな。まず天然については本当に忘れっぽいし、新聞で見た記事のことを何回も自慢げに話してくる。別にいいんだけど新聞の情報なんて所詮部分的で断片的で本質じゃないのにそれを自慢げに僕らに教えてくる。やっぱり文学部出身だからかな。天然なのは別に悪いことじゃないけどビジネスにおいては信用を失う危険がある。これは気をつけてるけどできるだけ隠さないといけない。次に眉毛が濃いこと。俺らの兄弟はみんな眉毛こいけど誰一人それを認めてそれをユーモアで解決してない。みんな隠してる。これも完全に母親がそうして生きてきてまだそうやって生きているからなんだと思う。親から正しいユーモアのある返しを授かってないからそれも隠して生きている。言い訳かもしれないけど家族で認めてないものを外で認められるわけないやん。

最後は自分の価値観の問題で、幸せの軸が他者評価の中にあるってこと。これが一番大きいってかこれが全て。幸せの軸が自分の中にあれば、全て決めるのは自分だし、他人に何を言われようが関係ないし怒られても自分のやりたい事が優先だから関係ない。それが最強だよな。でもほとんどの人が他者評価の中に幸せって存在してるからな。

 

だから自信のある人っていうのは多くの一般的な他者評価で高評価を得たことが多い人のことをいうんだろうね。次も高評価もらえる可能性が高いし。

 

まあとにかく自信持ちたいから隠す必要がない事は極力隠し事なしで、他者評価の中を生きなきゃいけないのは認めて他者にいい評価をもらえるようにいいアウトプットをだす。隠し事しないために親と一回話したいですね。

2019年

2019年になった。

留学が決まってから若干だらしない日々を送ってしまった事を後悔。

新しいゼミ、新しいインターン、留学という新しい環境。多くの新しい事が決まった、もう一度色々人生設計を考え直すことにします。

 

そして最近気づいた事を書きます。

 

ユーザベースの選考を通して自分の本質を一言で言語化する必要があった。その時にやはり自分の中にあるのは「自由」だ。

 

futureconomic.hatenablog.com

 このブログにも書いたけど、本質的にはテレビのように自由になんでも実現できる世界だったり、嫌いな人を自由に殺せたり、好きな場所に住めたり、好きな事業で世界に影響を与えられたり、好きな人を喜ばせたり、それが確実に広がる瞬間を感じたのが中学時代で、それが本質だ。

 

自分の本質は今まで書いた通りだけど、

目標があってもテレビやyoutubeが好きな事は決して自分の中で否定できない。自分にとっての最大の娯楽はお笑いであり、バラエティ番組。結局、俺の人生のテーマは一言で表すと「自由」。それすらも自由に観れたりする気の赴くままに生きる事がテーマだから。でもそのためにはご存知の通りありえない努力が必要だし、それは手に入れられない。だから俺は落合陽一さんの言葉や前田裕二さんのようになりたくて、娯楽好きな自分を否定していたけどそれは無理だ。自分は自分。自由と平和が全て。

 

だから、その自分を否定するのはもうやめる。自分が好きなものは好きって思う。ただ、それじゃ最終的な目標を達成する事ができないから我慢しなきゃ。それが努力。人生は矛盾。矛盾と対峙する事が努力。

東大王から見る世の中の縮図

最近、東大王という番組をみた。

賢い東大生と芸能人が戦うクイズ番組だ。

 

この番組の中のあるシーンが非常に印象に残った。

それは三択の問題が出され、その回答が三本のフラッグとなって回答者の前に置かれる。そしてその正解のフラッグをどっちが早く取れるかというものだ。

この問題に対して、芸能人は東大生に基本的に問題を解く速さだったり、そもそも問題を解けるかどうかという点で絶対に敵わない。

そうなった時に、芸能人チームは東大生の手の動きを見る。東大生が取ろうとしたフラッグを先に取ろうとするのだ。こうすることで問題が分からなくても、その動きから正解を予測し、東大生を倒そうとする。

これは一見有効な手段のように思える。

しかしそんな中、東大生の伊澤くんと柴田理恵の対決でこんなシーンがみられた。東大生の伊澤くんは正解がわかった瞬間にまず、不正解のフラッグにゆっくり手を伸ばす。

すると芸能人チームの柴田理恵は、その動きをみて、素早くそのフラッグを取る。そしてその後伊澤くんはゆっくり本当の正解のフラッグを掴んだ。

 

こんなことをやられたら芸能人チームに勝ち目はゼロになってしまう。

もし、東大生の手の動きから情報を得るのではなく、分からなくてもかんでフラッグをとれば勝てる確率は3分の1もあるのに、それをゼロにしてしまう。

 

本当に答えを知っている人と情報を持たざる人の間にはこれだけの違いが生まれる。

 

いろんな有名な実業家のような人が言う。「自分で考えろ」と言うことはこう言うことだと思う。人に聞いてどうした方がいいとかこれが絶対当たるとかそんなものを当てにしてる奴は結局この時の柴田理恵と同じように結局、どこかでつまづく。そもそも初めの道すら合っていないかもしれない。そう言う点ではまだ、盲目的に、自分の勘だけで決めた道の方が、可能性は低いにしろ、誰かの言うことについて行くよりはよっぽど可能性が高いように思える。

 

僕はどんな状況でも自分で考える。考えなければならない。

現在

去年のトフルに失敗して、AMSでのインターンの経験、広告研究会・ビジコンの経験、そしてウィルフでの経験を経て今、自分は英語を勉強している。なぜか。留学するにしろ、就職するにしろ、起業するにしろ、欠かせない力だと思ったからだ。やっぱり自分が実現したい規模の事業を展開するためには、海外のマーケットに広げたり、日本に海外のビジネスモデルを輸入したりする能力が必要だと感じた。そのためには英語力が欠かせない。また起業が厳しく就活になったとしても給料がいい会社、また証券取引を行えるのは英語がやっぱり欠かせない。そう考えると真剣に勉強するべきだ。

ではなんで、高校時代、そして大学入学して今までしっかりと勉強しなかったのか。それは本当に自分に英語が必要なのか、わかっていなかったからだ。そしてその必要性にウィルフやインターンを通して起業という自分の夢と本気で向き合った時に初めて気づいたことだということ。

 

とにかく俺の人生には英語は絶対必要。

このくらいのタイミングで一回真剣に勉強してある程度のレベルまでいっておこう。っていうのが今。

夢の設定の仕方

①まず自分の抽象的な思いを書き出す。

ビッグになりたい。海外で働きたい。女の子にモテたい。社会に新しいものを提供したい。成功したい。としと一緒に働きたい。40歳になった時電車に乗ってるような大人になりたくない。海外に家を持ちたい。イタリアに住みたい。ドイツ人と結婚したい。世界中を旅したい。今の同級生から認められたい。過去であった全ての人に認められるようになりたい。あいつらを見返してやりたい。殺したい。

②そしてそれを具体的な目標に落とし込む。

③最後にそれに実現可能性をかける。

④それが一番大きいものを目指すべき。